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教員コラム:経済危機と経済報道(若田部昌澄教授)

教員コラム:経済危機と経済報道(若田部昌澄教授)

 リーマン・ブラザースの破綻から早一年。マスメディア各社は連日、世界的な経済危機を報じている。しかし100年に一度の経済危機と言われるこの時期に、メディアが本来果たすべき役割を、彼らは全うできているだろうか。経済危機においてメディアが担う使命とは・・・。

執筆:若田部昌澄(政治経済学術院教授) 
2009年10月5日

経済政策と世論1

 さて、今回の経済危機である。今回に限らず、経済危機はジャーナリストにとって絶好の活躍の機会でもある。とはいえ、危機は人々の関心をそこに集中させるとともに、人々の認識を一定方向に誘導し、特定の反応に結びつきやすい。とくにアメリカでも起きたのは金融危機をめぐるポピュリズムの噴出である。日本の場合も、1995-6年には住宅金融専門会社(いわゆる住専)への公的資金投入をめぐって世論が沸騰したことがある。要するに、なぜ銀行を救済するのか、という反発であり、世論はほとんど反対論一色であった(その頃の新聞社説―たとえば95年12月20日のそれ―を今読んでみることを学生にはお勧めしたい)。

経済政策と世論2

 0910-wakatabe.jpg こういうメディアが、増幅する人々の世論あるいは「空気」が、危機に対応する政策担当者にも影響を与えたといわれている。この8月にデイヴィッド・ウェッセル(David Wessel:世界有数の経済紙『ウォール・ストリート・ジャーナル』の経済学エディター)のIn Fed We Trust: Ben Bernanke’s War on the Great Panic (New York: Crown Business)が出版された。これは、経済ジャーナリストはこういう本を書かなくてはならないという素晴らしい見本である。副題が示すように、本書はベン・バーナンキ議長率いる連邦準備制度理事会(FRB:アメリカの中央銀行)を中心に今回の経済危機への対応を詳細に追っている。

 今回の危機のクライマックスの一つが、2008年9月15日のリーマン・ブラザーズ証券破綻にあることはまず間違いない。今となっては破綻を放置したことは政策当局者の誤りであると評価されているし、その評価にほぼ間違いはない。だが、なぜ破綻するに任せたのだろうか。しかもその年の3月16日にはベアー・スターンズ証券の破綻を救済したにもかかわらず、なぜリーマンは救済しなかったのだろうか。ウェッセルによれば、当時のハンク・ポールソン財務長官は、まさにベアー・スターンズ救済後の厳しい世論を気にしていたという。ポールソンは「自分はミスター・ベイルアウト(お助けマン?)と呼ばれている。私には二度とできない」と述べ、公的資金投入を極力避けようとしたことが伝えられている(Wessel, p.14)。

メディアは役割を果たしたか

 この危機の結果がどうなるかはいまだ不確実である。しかし、金融危機においては、結局のところ公的介入が避けられないことが多い。特に大規模な危機においては避けられないと言ってもよい。この世の中は貨幣を用いて取引が行われる。貨幣なき市場経済は、デンマーク王子の出てこないハムレットである。その貨幣の動きが変調をきたすとき、それはいわゆる実体経済に多大な影響を及ぼす。金融危機が起きた時に必要なのは銀行を救済することではなく、銀行が担っている取引の決済機構を救済することである。これは、19世紀の末以降、バジョット原則として経済学ではおなじみのものであった。そしてアメリカでFRBが設立される大きな理由の一つは、この金融危機への公的対応の必要性であった。もしもメディアに世論にもかかわらず正しい政策へ世論を導くことを期待するのだとしたら(もちろんそのような期待そのものが間違っているという議論はできよう)、今回の危機でメディアはその役割を果たしたのだろうか。