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筑紫哲也氏追悼シンポジウム(3): 日本の政治報道が抱える諸問題

筑紫哲也氏追悼シンポジウム(3): 日本の政治報道が抱える諸問題

「日本の政治報道はレベルが低い」、と金平さんは指摘する。日本の政治報道のレベルは本当に低いのか。またそのレベルの低さとは一体、何に起因すると考えられているのだろうか。

編集:高橋嵩、孫巍、元ヨンア
2009.7.31
政治家との一体化2

田原 姜さん、今の話を聞いて、どうですか。

 

 そうですねぇ。僕は朝日の紙面審議委員の一人になって、政治部、経済部、社会部、それから学芸部、科学部・・・といろいろ話をしていて、やっぱり縦割りだな、という印象がものすごく強かった。

 

田原 縦割りってどういうことですか。

 

政治部から経済部、社会部、というヒエラルキーが出来ているんですね。それから朝日だけではないと思うんですけど、大新聞は往々にして、かなりヒエラルキーがはっきりしているように感じる。そのためか率直に言わせてもらうと他の部署に対する、ある種、無関心、もしくは場合によっては上下関係というものを少し感じる時があるんですね。
 ですから、同じ朝日という風に我々は外側から考えていたんですが、中に入ってみると、必ずしもそうではない。もちろん朝日という共通の地盤はあると思うんですが。ただ、今の政治報道に関する話を聞いて、僕が感じたのは、紙面審議委員になった時に、「自民党戦国史」のような記事ではない記事を書いてもらいたい、とは主張したんですよね。

 

田原 伊藤昌哉みたいな記事はだめだと?

 

 いや、あれは傑作だと思いますよ。

 

田原 僕は伊藤昌哉をとても信頼しているので。伊藤昌哉は「自民党戦国史」を書いたので、大平さんから追放されたんですよ。

 

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 僕が言いたいのは、世論が新聞とか特定の全国TVによって形成されているんだ、という実感があった時代ならば、まだ派閥取材にはリアリティがあったと思うんですけど、今はもう世論が新聞やTVだけで作られるのか、ネット上で作られるのか、非常に分散していますよ。皆が賢くなっているし、情報も発信できる。
 そうすると、物事を見るときには二つやり方があると思うんです。まず一つは、「ひと」で見るやり方。やっぱり日本は司馬遼太郎の小説もそうなんですが、「ひと」のほうが楽しいんですね。面白い。それに対して、"デモクラシー"とか"民主主義"とか"人権"とか、要するに「理念」とか「事柄」を喋ると、途端にみんながひけちゃう。

 

田原 そんなものないからね。

 

 そう、ないから(笑)今までの政治報道は金平さんが言ったように、ミイラ取りがミイラになってしまう部分がかなりあって、政治記者が政治家と一体化しての政治の当事者になっちゃっているわけですね。場合によっては、政治家のメガホンになる。
 もちろん政治家と政治部の記者の間には様々な緊張関係があると思いますが、誰でも毎日会っていれば結局、情が移りますよ。その政治家の恥部やいろんな面を自分が話すと、これは内部告発みたいになる。どんな社会においても組織や企業における内部告発は非常に難しいと思うんです。そういう一体感を敢えて切って、でも間違っていることについては違うと言う。それは「ひと」ではなくて「事柄」について。
 たとえば日本の国の基軸はどうしたらいいのか。日本で絶対的貧困や派遣の問題が起きているならば、これは日本の豊かさをどうしたらいいのかという本来の政治の問題に話をもう少し移していければいいんです。でも「この人が派閥の中で総理大臣になるのか、ならないのか」という報道になってしまう。
 こういう問題に関連して私がよく聞く話は、「飲み屋で、番記者同士で話していたら、担当派閥に分かれてお互いにケンカした」っていう話を聞くんですが、これ本当でしょうか。