「日本の政治報道はレベルが低い」、と金平さんは指摘する。日本の政治報道のレベルは本当に低いのか。またそのレベルの低さとは一体、何に起因すると考えられているのだろうか。
田原 金平さん、筑紫さんは何を目指して、何と闘っていたのだと思いますか?
金平 今までのお話しを聞いて、なるほどと思ったのは、筑紫さんは記者をやっていながら、やはり日本の政治報道のあり方について嫌なモノを感じていたんじゃないかな、ということですね。
僕自身も政界報道や永田町の報道といった、つまり「権力闘争みたいなものを描くことが政治報道だ」という考え方は、レベルが低いと思いますね。僕自身は政治部という所にいたことがないものですから、なおさら日本の政治報道の質の低さを感じるんですけど。
で、恐らく筑紫さんもそういうことを感じていたんじゃないかなぁ、と。つまり、メディアというのは権力とかそういうもののあり方の醜さをチェックする役割、いわゆるウォッチ・ドッグ(番犬)という役割をきちんと担うべきだ、と身に沁みて感じます。
田原 なるほど。マスコミは、権力の醜さをもっとドンドンドンドン報道すべきだ、と。

金平 そう思いますね。
田原 ところが、マスコミは政治家の駆け引きや、今の対立の裏側がどうか、ということに好奇心丸出しで報道している。これはレベルが低すぎる、ということですね。
金平 だって、政治っていうのは、永田町の人間関係と全く関係ないですもん。
田原 はい。そこで野村さんに聞きたいんですが、今の政治報道はレベルが低すぎる、と。どう思いますか。
野村 いや、でも金平さんが居られるアメリカだって、権力闘争は報道するわけですけれどね。でも、その報道される主体は、それによって国がどう変わるか、とか。例えばオバマとマケインとの対立があれば、それによって、政治がどう変わるか、というのが関心事なわけですよね。
ただ、私は日本だって、政治報道におけるウェイトの置き方はこの10年、15年で、随分それ以前と今では変わってきているとは思うんですね。今、派閥取材、派閥の駆け引きなどで紙面を全部費やす、というようなことはなくなっているわけです。
けれども、少なくとも私や筑紫さんが政治部にいた70年代なんかは、派閥取材こそが新聞記者、政治記者が最大限のエネルギーを費やす対象だったんですよね。そして、それをやっていると、「自分は仕事をしている」という充足感を得られたわけです。
私なんかはそのことにあまり迷うことなく、ずっと一生懸命に何年か政治記者をやっていたんです。私も筑紫さんの3代あとのワシントン特派員として米国へ出た頃から、少し日本の政治報道というものに対して客観視できるようになったんですけど、それまでは夢中でやっていました。日々、朝回り、夜回りをすることで、「自分は新聞記者の仕事をやっているんだ」という風に思っていました。
ただ、筑紫さんのあり方、それから、筑紫さんが政治部から決然と出て行く−まあ、出て行くと言うより出されたわけですけど−その時に最後に批判したことなどを見て、やっぱり政治報道のあり方とは、派閥とか政治家の心の襞に食い込むといったこととは関係ないのかな、という疑問が私にも湧いた、ということでしょうか。